ガザの子どもたちは夏休みに入りました。クラウドファンディング資金による次の調達は、新学期に子どもたちがTLSに戻ってくる頃を予定しています。
なお、現在もガザでは物資制限・不足・価格の高騰が続いています。学校関係でいえば、例えば机の材料となる木材(国際機関の物資支援に使っているパレットを解体して机に組み立てなおすのが今の主流です)が不足し、価格が大幅に上昇しています。クラウドファンディング計画時点では350NIS(17,500円)でしたが、現在は300USD (約49,000円)とおよそ3倍の価格になっていると聞いています。
こうした価格高騰や物資不足と、現地TLSからのニーズも状況に応じて刻々とかわることを受け、予定していた調達物品の一部を変更する可能性が出てきています。そのため、現在もガザの姉妹とニーズ調査・価格調査をしています。
ガザの姉妹は、教育情報発信活動も継続しています。この度、戦争が始まって約3年がたち、ガザの姉妹のそれぞれの思いを綴ってくれました。「ガザの人々の教育への希望」にも掲載していますが、反響が大きかったため、こちらでも紹介させていただきます。
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「ガザの子どもたちは、奇跡を生み出すことを決してやめない、私たちのヒーローです」
(ヌールさんの思い)
ガザでは夏休みになると、子どもたちが凧上げを楽しむ風習があります。誰がいちばん美しい凧を作れるか、そして誰ができるだけ高く上げられるかを競い合います。
「凧」は、私にとって「夏休みの始まり」の象徴でした。幼少期の特別な思い出として、今も心の中に残っています。
戦争の被害により、今のガザには凧を作るための材料はもはやありません。それでも、子どもたちは身の回りにあるものを工夫して使い、今年の夏休みも凧をつくりはじめました。この少年は、カラフルで丈夫な紙のかわりに、ビニール袋を切っています。凧を飛ばす糸として使っているのは、瓦礫の下に埋もれていた家屋の絨毯から引き抜いてきたものです。
ガザの子どもたちは、奇跡を生み出すことを決してやめない、私たちのヒーローです。

※「ガザの人々の教育への希望」にも掲載しています。
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「私はすぐに、彼がなぜそんなことを言ったのか理解しました。と同時に、その言葉に私は胸が張り裂けそうになりました」(二人の子どもを育てるアマルさんの思い)
5月の終わり、イスラム教諸国ではイード(犠牲祭)という約1週間のお休みがありました。ガザでは子どもたちの遊び場のひとつが、この祝祭日に合わせて再開されました。この遊び場の名前は「フロリア」です。
再開の知らせを聞き、子どもたちを連れて、私と夫は急いでそこへ向かいました。

私が胸を躍らせた一番の理由は、もうすぐ3歳になる長女がどんな反応を見せるのか知りたかったからです。戦争開始とともに生まれた長女は、これまで一度も遊園地や遊び場に行ったことがありません。おもちゃや遊具も画面の中でしか見たことがありません。彼女にとってフロリアは、「遊び」というものを初めて本当に体験する場所だったのです。
フロリアに踏み入れた彼女の表情は驚きに満ちていました。しばらくの間、その場に立ち尽くしていました。光、色彩、そして目の前いっぱいに広がるすべての遊具を大きな瞳で見つめていました。次の瞬間、恐れもためらいもなく駆け出し、遊び場に引き込まれていきました。

親たちも安堵と喜びに溢れていました。私は、何年も前にこの場所で顔を合わせていた友人たちと再会しました。彼らも、私と同様、いまは子どもを連れてそこに立っていたのです。
一方で、平穏な時期も戦争も経験して成長した少し年上の子どもたちの表情には、以前のような無邪気な輝きはありませんでした。それでも、みんなイードのために新しい服を着て遊んでいます。そして、親たちはすぐそばで寄り添いながら、子どもたちの笑顔や喜びの瞬間を、少しでも長く心に留めようとするかのように見守っています。
その時の私は長女に夢中で、6歳になった長男がどこにいるのか気づいていませんでした。
戦争の間、北ガザが封鎖され、私たちが南部へ避難していた頃、長男は何度も私に尋ねました。「ママ、いつになったら、またフロリアに行けるの?」そのたびに私は答えていました。「戦争が終わったらね。」
突然、私と長女が遊んでいるところへ長男が駆け寄ってきました。そして私をぎゅっと抱きしめ、言いました。「ママ……戦争は終わったんだよ。本当に終わったんだ。」
私はすぐに、彼がなぜそんなことを言ったのか理解しました。
と同時に、その言葉に私は胸が張り裂けそうになりました。
なぜなら、その週もイスラエル軍は連日のように避難勧告を出し、各地を爆撃し、状況は再び恐ろしいものになっていたからです。ガザ全域で爆撃が続いていました。必ずしも激しいものではありませんでしたが、攻撃は絶えず続き、その爆音が途切れることはありませんでした。イードの前日、子どもたちの服を買いに出かけていた時には、突然すぐ近くに空爆があり、私たちは間一髪で命を取り留めたのです。
フロリアの中では子どもたちが笑い、音楽が流れ、楽しさに守られながら戦争を忘れて束の間の時間を過ごしていました。しかし、同じ日に、ガザでは別の場所の住宅が爆撃され、子どもたちや母親たちの命が奪われました。彼らは、ただ日常を家族と慎ましく暮らし、静かな人生を歩んでいただけなのに。
ガザでは今も人々が命を失い続けています。そして私はもう、長男に何を言ってあげればいいのかわかりません。
この「死の街」で子どもたちを育て続けることは、子どもたちに対してあまりにも酷なことなのではないか。それとも、ここにとどまり続けること自体が抵抗の一つであり、子どもたちに故郷を愛し、決して見捨てないことを伝える一つの生き方なのだろうか。
その問いが、私の心から離れることはありません
※「ガザの人々の教育への希望」にも掲載しています。
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